はじめに
「普通に仕事をしただけなのに、家へ帰ると何もできないほど疲れてしまう。」
「人と話しただけでぐったりしてしまう。」
「休日は一日中寝て過ごさないと回復しない。」
このような「疲れやすさ」は、ADHDやASDのある人からよく聞かれる悩みの一つです。
周囲からは、「体力がないだけでは?」「気にしすぎでは?」「慣れれば大丈夫」と思われることもあります。しかし、近年の認知神経科学や神経心理学の研究では、この疲れやすさは単なる気持ちの問題ではなく、脳の情報処理の特徴が関係している可能性が示されています。
もちろん、発達障害のある人すべてが疲れやすいわけではありません。また、疲労の原因は睡眠不足や身体疾患、うつ病や不安症などの精神疾患が関与することもあります。
しかし、発達障害では「認知負荷(Cognitive Load)」が高まりやすく、日常生活の中で脳が多くの情報を処理し続けることで、精神的疲労を感じやすくなることが報告されています。
今回は、「認知負荷」という視点から、発達障害のある人が疲れやすい理由について、医学的・科学的知見をもとに解説します。
認知負荷(Cognitive Load)とは何か
私たちの脳は、一度に処理できる情報量に限界があります。
例えば、
- 相手の表情を見る
- 話の内容を理解する
- 次に何を話すか考える
- 周囲の音を聞き分ける
- 時間を確認する
このような作業は、普段はほとんど意識せずに行っています。
しかし、これらは実際には複数の認知機能が同時に働く高度な情報処理です。
このとき脳にかかる負担を「認知負荷(Cognitive Load)」と呼びます。
認知負荷は誰にでも生じますが、発達障害では、同じ場面でもより多くの認知資源を必要とすることがあります。
例えば、職場での会話では、
- 相手の表情を読み取る
- 声の調子を理解する
- 適切な返答を考える
- 周囲の雑音を無視する
- 次の予定を頭の中で整理する
といった複数の情報処理が同時に求められます。
定型発達の人では自動的に行われる処理も、ADHDやASDでは一つひとつを意識的に処理している場合があり、その結果として脳への負荷が高まりやすくなります。
つまり、「普通の生活」であっても、脳にとっては決して普通ではないほど多くのエネルギーを使っている可能性があるのです。
実行機能の負担が疲労につながる

前回の記事では、「実行機能(Executive Function)」について解説しました。
実行機能とは、
- 計画する
- 優先順位を決める
- 必要な情報を覚えておく
- 行動を切り替える
- 間違いを修正する
など、日常生活を円滑に送るための「脳の司令塔」の働きです。
ADHDでは、この実行機能に特徴があることが多く、何気ない日常生活でも多くの認知資源を必要とすることがあります。
例えば、
「忘れ物をしないようにしよう。」
という一つの行動でも、
- 持ち物を思い出す
- 必要な物を探す
- バッグへ入れる
- 入れ忘れがないか確認する
という複数の認知処理が必要になります。
このような作業が一日に何度も繰り返されると、脳は休む暇がありません。
その結果、身体は元気でも、「頭が疲れた」「何も考えたくない」と感じる精神的疲労が生じやすくなります。
感覚処理の違いも疲れやすさに関係する

ASDでは、「感覚過敏」や「感覚鈍麻」がみられることがあります。
DSM-5-TRでも、感覚処理の特徴はASDの診断基準の一つとして位置付けられています。
例えば、
- エアコンの音が気になる
- 蛍光灯がまぶしく感じる
- 洋服のタグが気になる
- 人混みの音に圧倒される
といった経験はありませんか。
周囲の人にとっては気にならない刺激でも、ASDでは強く感じられることがあります。
近年の研究では、ASDでは感覚情報の「フィルタリング」が定型発達とは異なる可能性が示されています。
通常、私たちの脳は重要な刺激だけを選び、不必要な情報はある程度自動的に抑えています。
しかし、この働きに特徴があると、
必要な情報だけでなく、
周囲の音や光、人の動きなども同時に処理し続けることになります。
つまり、脳は常に大量の情報を処理し続けている状態となり、それが精神的疲労につながる可能性があります。
「普通に見える」ために努力することが疲労につながる

近年、ASD研究で注目されている概念の一つが「マスキング(Camouflaging)」です。
マスキングとは、自分の特性を周囲に気づかれないよう、意識的に行動や表情、会話の仕方を調整することを指します。
例えば、
- 相手の目を見るように意識する
- 会話のタイミングを考える
- 笑顔を作る
- 周囲に合わせて行動する
- 興味のある話題を控える
などが挙げられます。
これらは一見すると自然なコミュニケーションに見えますが、本人にとっては多くの認知資源を必要とする作業です。
そのため、学校や職場では問題なく過ごせていても、帰宅後に強い疲労感を感じたり、休日は何もできなくなったりする人も少なくありません。
近年の研究では、長期間にわたるマスキングは、疲労感だけでなく、不安や抑うつ、バーンアウト(燃え尽き症候群)のリスクとも関連することが報告されています。
つまり、「普通に見える」ことは、「負担が少ない」という意味ではありません。
むしろ、周囲から見えない努力を続けているからこそ、大きな疲労につながる場合があるのです。
脳のネットワークと疲労の関係

近年の脳画像研究では、「脳のどこか一つ」に原因があるという考え方から、「脳全体のネットワーク」がどのように協力して働いているかという視点へと研究が進んでいます。
その中でも、発達障害との関連が多く報告されているのが、
- デフォルトモードネットワーク(Default Mode Network:DMN)
- サリエンスネットワーク(Salience Network:SN)
- セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(Central Executive Network:CEN)
です。
デフォルトモードネットワークは、ぼんやり考え事をしたり、自分自身を振り返ったりするときに活動するネットワークです。
一方、セントラル・エグゼクティブ・ネットワークは、仕事や勉強など集中して課題に取り組む際に働きます。
さらに、サリエンスネットワークは「今、何に注意を向けるべきか」を判断し、必要に応じて二つのネットワークを切り替える役割を担っています。
近年のfMRI研究では、ADHDやASDではこれらのネットワークの連携に特徴がみられることが報告されています。
例えば、集中したい場面でもデフォルトモードネットワークの活動が十分に切り替わらなかったり、逆に必要以上に集中状態が続いたりすることで、認知的な負担が増える可能性が示唆されています。
ただし、これらの研究は現在も進行中であり、「疲れやすさ」をネットワークの違いだけで説明できる段階には至っていません。
しかし、脳全体の情報処理効率という視点から疲労を理解する重要な手がかりとなっています。
自律神経の働きも疲労感に影響する
私たちの身体は、自律神経によって無意識のうちに調節されています。
自律神経には、
- 活動するときに優位になる交感神経
- 身体を休ませる副交感神経
があります。
通常は、この二つが状況に応じてバランスよく働いています。
しかし、発達障害ではストレスへの反応や自律神経活動に特徴がみられることがあり、心拍変動(Heart Rate Variability:HRV)を用いた研究では、定型発達者とは異なる反応を示すことが報告されています。
特に、
- 強い緊張状態が続く
- 周囲の刺激に敏感に反応する
- 十分に休息しても疲労感が残る
といった状態では、自律神経の調節も関係している可能性があります。
もちろん、疲労感は睡眠不足や身体疾患、薬剤の影響などでも起こるため、自律神経だけで説明できるものではありません。
しかし、「精神的な疲れ」が身体にも影響を及ぼす仕組みを理解する上で、自律神経の働きは重要な視点となります。
「疲れやすい」は怠けているわけではない
発達障害のある人は、
「すぐ疲れる。」
「休んでばかりいる。」
「もっと体力をつければいい。」
と言われることがあります。
しかし、認知神経科学の研究から見えてきたのは、「疲れやすさ」は本人の努力不足ではなく、日常生活の中で脳が処理しなければならない情報量や、その処理の仕方が関係している可能性があるということです。
例えば、職場で一日過ごすだけでも、
- 周囲の音や視線に注意を向ける
- 会話の流れを理解する
- 次の予定を考える
- ミスを防ぐために何度も確認する
- 状況に応じて行動を切り替える
など、多くの認知処理が同時に行われています。
定型発達者では比較的自動的に行われる処理でも、発達障害では意識的な努力を必要とすることがあり、その積み重ねが精神的疲労につながると考えられています。
つまり、外から見える行動だけでは、その人がどれだけ脳を働かせているかは分からないのです。
家庭や職場でできる工夫

疲れやすさを完全になくすことは難しいかもしれません。
しかし、認知負荷を減らす工夫によって、日常生活が過ごしやすくなることがあります。
例えば、
一度に複数の指示を出さない
情報量を減らすことで、ワーキングメモリへの負担を軽減できます。
静かな環境で作業する
感覚刺激を減らすことで、脳が処理する情報量を少なくできます。
予定を見える化する
手帳やスマートフォン、チェックリストなどを活用すると、実行機能への負担を減らすことができます。
適度に休憩を取る
疲れてから休むのではなく、疲労が蓄積する前に短時間の休憩を取る方が、認知機能を維持しやすいことが知られています。
マスキングを続けすぎない
安心して自分らしく過ごせる環境や人間関係を持つことも、認知負荷を軽減するためには重要です。
大切なのは、「疲れないように頑張る」のではなく、「疲れにくい環境を整える」という視点です。
まとめ
発達障害のある人が疲れやすい背景には、認知負荷の高さや脳の情報処理の特徴が関係している可能性があります。
実行機能、感覚処理、社会認知、マスキング、注意の切り替えなど、日常生活の中で当たり前に行われている認知活動が、発達障害ではより多くの意識的な処理を必要とすることがあります。
その結果、周囲には見えないところで精神的な疲労が積み重なり、「普通に生活しているだけなのに疲れてしまう」と感じることがあります。
近年の研究では、脳のネットワークや自律神経の働きも、この疲労感に関係している可能性が示されています。しかし、その仕組みはまだ研究が進められている段階であり、すべてが明らかになったわけではありません。
だからこそ、「疲れやすいのは気の持ちよう」「怠けているだけ」と決めつけるのではなく、その背景にある脳の情報処理の特徴を理解することが大切です。
発達障害を理解するとは、「できないこと」を数えることではありません。
一人ひとりがどのように世界を感じ、どのように情報を処理し、その結果としてどのような疲労を抱えているのかを理解し、環境を整えることが、本人の力を発揮しやすい社会につながるでしょう。
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