「注意しなさい」では説明できない
ADHD(注意欠如・多動症)という名前を聞くと、多くの人は「注意力が足りない障害」を思い浮かべるかもしれません。
しかし近年の脳科学研究では、ADHDは単純な注意不足ではなく、脳内ネットワークの切り替えや調整の特徴として理解されるようになってきています。
実際、ADHDの人は「注意がない」のではなく、
- 興味のあることには強く集中できる
- 周囲の刺激に注意が引きつけられやすい
- 頭の中で考え事が止まりにくい
- 集中状態とぼんやり状態の切り替えが不安定になる
といった特徴を示すことがあります。
こうした現象を理解するうえで重要なのが、DMN(デフォルトモードネットワーク)、CEN(中央実行ネットワーク)、そして Salience Network(サリエンスネットワーク) という3つの脳内ネットワークです。
脳は「複数のチーム」で働いている

以前は、脳の働きは「この部位が注意を担当する」「この部位が記憶を担当する」といった局所的な考え方が中心でした。
しかし現在では、脳は複数の領域が協力するネットワークとして働いていることが分かっています。
その中でもADHD研究で特に重要なのが次の3つです。
ADHD研究で重要な3つのネットワーク
最新脳科学
DMN(デフォルトモードネットワーク)
内向き
ぼんやり考える・過去や未来を思い浮かべる・自己について考える
CEN(中央実行ネットワーク)
課題集中
課題に集中する・計画する・作業を進める
Salience Network(サリエンスネットワーク)
切り替え
重要な刺激を見つける・DMNとCENを切り替える
イメージとしては、
- DMN=「頭の中で考えるモード」
- CEN=「仕事・勉強モード」
- サリエンスネットワーク=「どちらを使うか決める司令塔」
という関係です。
DMN ― 頭の中の独り言ネットワーク
DMNは、ぼんやりしているときに活動しやすいネットワークです。
例えば、
- 昨日の出来事を思い出す
- 将来の予定を考える
- 自分について振り返る
- 空想する
といった内向きの思考に関わります。
通常、課題に集中するとDMNの活動は低下します。
しかしADHDでは、集中が必要な場面でもDMNの活動が十分に下がらないことがあると報告されています。
その結果、
「授業を聞いているのに別のことを考えてしまう」
「会議中に頭の中で別の会話が始まる」
「作業をしながら考え事が止まらない」
といった現象が起こりやすくなります。
これは「やる気がない」というより、内側の思考ネットワークが強く働き続けている状態と考えられます。
CEN ― 集中して作業するネットワーク
CENは、課題に取り組むときに活性化します。
例えば、
- 計算をする
- 文章を書く
- 計画を立てる
- 優先順位を決める
- ミスを修正する
など、実行機能(Executive Function)と深く関係しています。
ADHDでは、このネットワークの活動が状況によって不安定になることがあります。
そのため、
- 集中できるときは非常に高いパフォーマンスを示す
- 一方で、集中が維持できないと急激に効率が落ちる
という「波」が生じやすいのです。
これは、ADHDの人がしばしば経験する「できる日とできない日の差」に関係している可能性があります。
サリエンスネットワーク ― 切り替えの司令塔
サリエンス(Salience)とは、「重要さ」や「目立ちやすさ」を意味します。
サリエンスネットワークは、
- 今どの情報が重要か
- 何に注意を向けるべきか
- DMNからCENへ切り替えるべきか
を判断する役割を担っています。
近年の研究では、ADHDではこのネットワークの機能に特徴がみられることが報告されています。
その結果、
- 小さな音に注意が奪われる
- 通知が来ると作業が中断される
- 会話中に周囲の刺激へ意識が向く
- 再び元の作業へ戻るのに時間がかかる
といったことが起こりやすくなります。
つまり、ADHDは「注意がない」というより、どの刺激を優先するかの調整が難しい状態と考えると理解しやすいでしょう。
3つのネットワークをまとめると
| ネットワーク | 主な役割 |
|---|---|
| DMN | 内向きの思考、空想、自己反省 |
| CEN | 集中、計画、実行、作業 |
| サリエンスネットワーク | 重要な刺激の選択、切り替え |
ADHDでは、これらのバランスや切り替えに特徴があることが、fMRIなどの研究から明らかになってきています。
前半のポイント

- ADHDは単純な「注意不足」ではない
- DMN(内向き思考)
- CEN(集中・実行)
- サリエンスネットワーク(切り替え)
- この3つのネットワークの調整が重要
認知負荷とは何か

ここまで、ADHDではDMN、CEN、サリエンスネットワークという3つの脳内ネットワークの切り替えに特徴があることを説明してきました。
では、この特徴は日常生活にどのような影響を与えるのでしょうか。
その答えの一つが「認知負荷(Cognitive Load)」です。
認知負荷とは、脳が情報を処理するために必要な「心的エネルギー」の量を指します。
例えば、
- 話を聞きながらメモを取る
- 周囲の雑音の中で勉強する
- 優先順位を考えながら仕事を進める
- 忘れ物をしないよう予定を管理する
これらは一見すると簡単な作業に思えますが、実際には注意、ワーキングメモリ、判断、抑制、切り替えなど、複数の認知機能を同時に使っています。
ADHDでは、これらの認知機能を支える脳内ネットワークの切り替え効率に特徴があるため、**同じ課題でもより多くの認知資源を必要とする場合があります。**その結果、精神的な疲労感が強くなりやすいと考えられています。近年のレビューでも、ADHDでは認知負荷を反映する神経生理学的指標に特徴がみられることが報告されています。
なぜADHDの人は疲れやすいのか
「午前中だけでぐったりする」
「何もしていないのに疲れる」
「人と話しただけで頭がいっぱいになる」
こうした声は、ADHDのある人からよく聞かれます。
もちろん疲れやすさには睡眠、ストレス、不安、うつ症状など様々な要因が関係します。そのため、「ADHDだから必ず疲れやすい」とは言えません。
しかし近年では、脳内ネットワークを効率よく切り替えるために必要な心的努力(Mental Effort)が大きくなりやすいことが、疲労感の一因ではないかと考えられています。
例えば、
仕事中に
「集中しよう」
と思っても、
DMNの活動が十分に低下しなければ、
- 別の考えが浮かぶ
- 周囲の音が気になる
- スマートフォンが気になる
- 他の仕事を思い出す
など、複数の情報が同時に頭の中へ入ってきます。
するとサリエンスネットワークは、
「今はこちらに集中」
「いや、こちらも重要」
という判断を何度も繰り返すことになります。
この頻繁な切り替えそのものが、脳に大きな負荷を与えている可能性があります。
「見えない努力」が積み重なっている

ADHDの人は、
「努力していない」
と誤解されることがあります。
しかし実際には、その逆であることも少なくありません。
例えば職場で、
- メモを何度も確認する
- 忘れないよう付箋を貼る
- スケジュールアプリを何度も見る
- 周囲の刺激を意識的に無視する
こうした行動は、「普通に仕事をしている」ように見えても、多くの認知資源を使っています。
つまり、外からは見えない努力を続けているのです。
この状態が長時間続けば、夕方には強い疲労感が現れても不思議ではありません。
日常生活で起こる疲労
認知負荷は仕事だけではありません。
例えば、
- スーパーで買い物をする
- 子どもの支度をする
- 学校の予定を覚える
- 電車で通勤する
こうした日常生活でも、
- 多くの情報を処理する
- 優先順位を決める
- 注意を切り替える
ことが繰り返されています。
さらに、騒音や人混みなどの刺激が加わると、サリエンスネットワークは「何に注意を向けるべきか」を絶えず判断し続けます。
そのため、「家に帰ると何もできない」「休日は寝て終わる」といった疲労感につながることがあります。ただし、疲労感の現れ方には大きな個人差があり、併存症や生活環境の影響も考慮する必要があります。
支援や環境調整の考え方

近年のADHD支援では、「本人がもっと頑張る」ことよりも、認知負荷を減らす環境づくりが重要視されています。
例えば、
- 作業環境を整理して刺激を減らす
- 一度に複数の指示を出さず、一つずつ伝える
- チェックリストやカレンダーなど外部記憶を活用する
- 大きな仕事を小さなステップに分ける
- 適度に休憩を入れ、脳をリセットする
- 通知をオフにするなど、注意を奪う刺激を減らす
といった工夫は、脳内ネットワークの切り替えにかかる負担を軽減し、結果として疲労感やミスの減少につながる可能性があります。
この考え方は、「能力を補う」のではなく、「環境とのミスマッチを減らす」という現代の発達障害支援にも通じています。
現在の研究で分かっていること・まだ議論が続いていること

DMN、CEN、サリエンスネットワークの「トリプルネットワークモデル」は、現在のADHD研究において重要な枠組みの一つです。
一方で、2024年の総説では、ADHDは非常に異質性(ヘテロジェネイティ)が高く、特定の一つのネットワーク異常だけで説明できる疾患ではないことも強調されています。脳全体のネットワーク相互作用や、遺伝・環境・発達の影響を含めた包括的な理解が必要とされています。
また、
- すべてのADHDで同じネットワーク異常がみられるわけではない
- 年齢によって脳のネットワークは変化する
- 薬物療法や心理社会的支援によってネットワーク活動が変化する可能性がある
ことも報告されています。
つまり、DMNやサリエンスネットワークはADHDを理解する有力な手がかりですが、「これだけでADHDを説明できる」と結論づけられる段階ではありません。
科学は、新しい知見を積み重ねながら理解を深めています。
まとめ
ADHDは、「注意が足りない障害」という単純なものではありません。
近年の脳科学研究では、
- DMN(内向きの思考)
- CEN(集中・実行)
- サリエンスネットワーク(切り替え)
という3つの脳内ネットワークのバランスや切り替えに特徴があることが分かってきました。
その結果、
- 注意が散りやすい
- 集中の波が大きい
- 情報処理に多くの心的努力を必要とする
- 疲れやすい
といった特徴が現れることがあります。
だからこそ支援では、「もっと頑張る」ではなく、「認知負荷を減らす環境を整える」という視点が重要です。
ADHDを「努力不足」と捉えるのではなく、「脳のネットワークの働き方の違い」と理解することが、本人への適切な支援や周囲の理解につながるでしょう。
参考文献
- Faraone SV, Bellgrove MA, Brikell I, et al. Attention-deficit/hyperactivity disorder. Nature Reviews Disease Primers. 2024.
- Koirala S, Grimsrud G, Mooney MA, et al. Neurobiology of attention-deficit hyperactivity disorder: historical challenges and emerging frontiers. Nature Reviews Neuroscience. 2024.
- Le Cunff AL, Dommett E, Giampietro V. Neurophysiological measures and correlates of cognitive load in attention-deficit/hyperactivity disorder (ADHD), autism spectrum disorder (ASD) and dyslexia: A scoping review and research recommendations. European Journal of Neuroscience. 2024.
- Wagner DW, Mason SG, Eastwood JD. The experience of effort in ADHD: a scoping review. Frontiers in Psychology. 2024.
- ADHD in Adulthood: Clinical Presentation, Comorbidities, and Treatment Perspectives. 2025(総説).
- Menon V. Large-scale brain networks and psychopathology: A unifying triple network model. Trends in Cognitive Sciences. 2011.


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