はじめに
「さっきも注意したのに、また同じミスをしている。」
「何度教えても、同じ失敗を繰り返してしまう。」
「本人も反省しているようなのに、なぜ改善しないのだろう。」
保護者や職場の上司、同僚、支援者の方から、このような相談を受けることは少なくありません。
一方で、発達障害のある本人も、
「気をつけようと思っているのに失敗してしまう」
「どうして同じことを繰り返してしまうのか、自分でも分からない」
と悩んでいることがあります。
こうした様子を見て、「やる気がない」「反省が足りない」「注意力がないだけ」と考えられることがあります。しかし、近年の認知神経科学や神経心理学の研究では、同じミスを繰り返してしまう背景には、脳の情報処理の仕組みが深く関わっていることが明らかになっています。
もちろん、すべてのミスが発達障害によるものではありません。しかし、ADHDやASDでは、「間違いに気づく」「情報を保持する」「行動を切り替える」「経験から学習する」といった脳の働きに特徴がみられることがあります。
今回は、「実行機能(Executive Function)」という視点から、なぜ同じミスを繰り返してしまうのかを医学的・科学的知見をもとに解説します。
実行機能とは「脳の司令塔」の働き

私たちは毎日の生活の中で、無意識のうちに多くのことを同時に考えながら行動しています。
例えば、仕事で資料を作る場面を考えてみましょう。
- 今日中に終わらせる
- 必要な資料を集める
- 優先順位を考える
- ミスがないか確認する
- 修正する
- 時間を見ながら進める
こうした一連の流れは、脳が自然に行っているように見えますが、実際には複数の認知機能が協力して働いています。
この一連の働きをまとめて**実行機能(Executive Function)**と呼びます。
実行機能は主に前頭前野を中心とした神経ネットワークによって支えられており、
- 計画する
- 順序立てる
- 必要な情報を覚えておく
- 不要な行動を抑える
- 間違いに気づく
- 修正する
といった、人間らしい高度な行動を可能にしています。
ADHDでは、この実行機能に特徴があることが数多くの研究で示されています。またASDでも、柔軟な行動の切り替えや計画性に困難を示す人が少なくありません。
つまり、「同じミスを繰り返す」という現象は、一つの原因ではなく、実行機能を構成する複数の働きが関係しているのです。
ワーキングメモリが弱いと「分かっていたこと」を忘れてしまう

実行機能の中でも特に重要なのが**ワーキングメモリ(Working Memory)**です。
ワーキングメモリとは、「今必要な情報を一時的に保持しながら処理する能力」のことです。
例えば、
「コピーを取って、そのあと会議室へ持って行く」
という指示を受けたとします。
多くの人は、コピーを取りながら「会議室へ持って行く」という情報を頭の中に保持しています。
しかしワーキングメモリが弱いと、
コピーを終えた時点で次の行動を忘れてしまうことがあります。
これは「記憶力が悪い」というよりも、「必要な情報を一時的に保持し続けること」が難しい状態です。
その結果、
- 確認を忘れる
- 最後の工程を忘れる
- 約束を忘れる
- 同じ注意を何度も受ける
といったことが起こります。
本人は「ちゃんと聞いていた」のですが、行動につなげる途中で情報が抜け落ちてしまうのです。
「間違えた!」を知らせる脳のセンサー
私たちは失敗すると、
「あ、間違えた」
と気づきます。
この働きには、**前部帯状皮質(Anterior Cingulate Cortex:ACC)**という脳の領域が深く関わっています。
ACCは、いわば脳の「エラー検出センサー」です。
例えば、
- 漢字を書き間違えた
- ボタンを押し間違えた
- 話す順番を間違えた
このような場面では、ACCが誤りを検出し、「修正した方がよい」という信号を前頭前野へ送ります。
脳波研究では、この働きに関連する**エラー関連陰性電位(Error-Related Negativity:ERN)**という反応が知られています。
ADHDでは、このERNが小さいことを示した研究が複数報告されており、誤りへの気づきや、その後の修正行動に特徴がある可能性が指摘されています。
つまり、「また同じことをしてしまった」という背景には、失敗そのものよりも、「失敗を脳が十分に検出し、次の行動へ反映する過程」に特徴がある場合があるのです。
もちろん、これはすべてのADHDの人に当てはまるわけではありません。しかし、「気をつければ直る」という単純な問題ではないことを理解する上で重要な知見です。
「止まって考える」が難しい理由
もう一つ重要なのが**抑制機能(Inhibitory Control)**です。
私たちは日常生活の中で、
- すぐに返事をしたい
- 思いついたことを話したい
- 慣れたやり方で進めたい
という衝動を無意識にコントロールしています。
例えば、メールを送る前には、
「宛先は合っているかな?」
「添付ファイルは付けたかな?」
と、一度立ち止まって確認します。
この「立ち止まる力」が抑制機能です。
ADHDでは、この抑制機能が十分に働きにくいことがあります。
そのため、
確認する前に送信してしまう
焦って次の作業へ進んでしまう
最後のチェックを忘れてしまう
といったことが起こりやすくなります。
周囲からは、
「どうして確認しなかったの?」
と思われがちですが、本人にとっては「確認しよう」という過程そのものが抜け落ちてしまっていることがあります。
これは「慎重さが足りない」というよりも、「行動を一旦止める」という実行機能の特性として理解する方が、脳科学的には適切です。
注意の切り替えが難しいと、同じ失敗を繰り返しやすくなる

実行機能の中には、「注意を適切に切り替える力(Cognitive Flexibility)」も含まれています。
私たちは普段、
- 今の作業を中断する
- 新しい情報に気づく
- 優先順位を変更する
- 状況に応じて行動を変える
ということを無意識に行っています。
例えば、書類を作成している途中で電話が鳴った場合、多くの人は一度作業を止め、電話対応を終えた後に元の作業へ戻ることができます。
しかし、ADHDでは注意が外部刺激へ移りやすく、一度中断すると元の作業へ戻ることが難しくなる場合があります。
一方、ASDでは逆に、一つの作業へ強く集中するあまり、状況の変化に合わせて注意を切り替えることが難しいことがあります。
このように、「注意の切り替えが苦手」という一見同じ特徴でも、その背景にある脳の情報処理はADHDとASDで異なることが少なくありません。
その結果、
- 最後の確認を忘れる
- 作業手順が途中で抜ける
- 前回の失敗を思い出す前に次の行動へ移る
といったことが起こりやすくなります。
つまり、「同じミスを繰り返す」という現象は、注意力がないからではなく、「注意を適切に切り替える」という高度な認知機能の特徴として理解することが重要です。
フィードバック学習とは「失敗から学ぶ力」
私たちは失敗を経験すると、
「次はこうしよう」
と自然に学習しています。
この仕組みを**フィードバック学習(Feedback Learning)**と呼びます。
例えば、
- 書類を提出し忘れて注意された
- 鍵を忘れて困った
- 約束の時間に遅れてしまった
という経験があると、多くの人は次回から確認する習慣が身についていきます。
この学習には、前頭前野だけでなく、線条体やドーパミンを中心とした報酬系のネットワークが関係しています。
特にADHDでは、報酬や失敗からの学習の仕方に特徴があることが、多くの研究で報告されています。
例えば、
「将来困ること」
よりも、
「今目の前にある刺激」
の方が脳にとって優先されやすいことがあります。
そのため、
「前回失敗したから今回は気をつけよう」
という学習が十分に行動へ結びつかないことがあります。
これは決して「反省していない」という意味ではありません。
失敗を理解していても、その経験を次回の行動へ結び付ける脳のネットワークに特徴があるため、結果として同じミスが繰り返されてしまうのです。
ADHDとASDでは「同じミス」でも原因が異なる
周囲から見ると、
「また同じことを間違えた」
という結果は同じように見えるかもしれません。
しかし、その背景はADHDとASDで異なることが少なくありません。
ADHDでは、
- ワーキングメモリの弱さ
- 抑制機能の弱さ
- エラー検出機能の特徴
- フィードバック学習の特徴
などが重なり、「分かっていたのに実行できなかった」という形でミスが起こることがあります。
一方、ASDでは、
- 認知の柔軟性
- 手順への強いこだわり
- 状況の変化への適応
- 社会的文脈の理解
といった特徴が影響します。
例えば、前回と同じ方法では対応できない状況でも、「前と同じ手順」で進めようとしてしまうことがあります。
これは「応用が利かない」のではなく、「一度学習したルールを大切にする」という情報処理の特徴が関係している場合があります。
つまり、「同じミスを繰り返す」という行動だけを見て判断するのではなく、その背景にある認知過程を理解することが、適切な支援につながります。
「もっと気をつけて」だけでは改善しない理由
失敗を繰り返す人に対して、
「もっと集中して。」
「次は気をつけて。」
「確認すればいいだけ。」
と声を掛けた経験がある人も多いでしょう。
もちろん、このような声掛けが役立つ場面もあります。
しかし、実行機能そのものに特徴がある場合には、「気をつける」という抽象的な指示だけでは改善が難しいことがあります。
例えば、
「確認してください。」
と言われても、
- 何を確認するのか
- いつ確認するのか
- どの順番で確認するのか
が明確でなければ、確認行動につながりにくいことがあります。
これは努力不足ではなく、「確認する」という行動自体を組み立てる実行機能に負荷がかかっているためです。
家庭・学校・職場で役立つ支援とは

近年の発達障害支援では、「本人が努力する」よりも、「環境を工夫する」ことの重要性が強調されています。
例えば、
チェックリストを活用する
頭の中だけで覚えようとするのではなく、確認項目を見える形にします。
一度に一つずつ伝える
複数の指示を同時に出すよりも、一つずつ順番に伝えた方が成功しやすくなります。
手順を見える化する
写真やイラスト、フローチャートなどを使い、行動の流れを視覚化すると、ワーキングメモリへの負担を減らすことができます。
成功体験を積み重ねる
失敗ばかりを指摘されると、「どうせまた失敗する」という気持ちが強くなり、自信を失ってしまいます。
一方で、小さな成功を積み重ねることは、自己効力感を高めるだけでなく、脳の報酬系を活性化し、次の学習につながりやすくなることが知られています。
重要なのは、「失敗をなくすこと」ではなく、「失敗しにくい環境を整えること」です。
まとめ
「何度注意しても同じミスを繰り返す。」
その姿だけを見ると、「反省していない」「やる気がない」と感じてしまうかもしれません。
しかし、認知神経科学や神経心理学の研究からは、その背景に実行機能の特徴があることが明らかになっています。
実行機能には、
- ワーキングメモリ
- エラー検出機能
- 抑制機能
- 注意の切り替え
- フィードバック学習
など、さまざまな働きが含まれています。
これらが互いに影響し合うことで、「分かっているのにできない」「前回と同じ失敗を繰り返してしまう」という状況が生まれることがあります。
また、ADHDとASDでは、同じ「ミスを繰り返す」という行動でも、その背景となる脳の情報処理は異なります。
だからこそ、行動だけを見て評価するのではなく、「なぜその行動が起きたのか」という認知の過程に目を向けることが大切です。
発達障害を理解することは、「できないこと」を探すことではありません。
その人がどのように情報を受け取り、考え、行動しているのかという脳の働きを理解し、一人ひとりに合った環境や支援を考えていくことが、本人の力を引き出す第一歩となるでしょう。
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