夕立 雷。なんとなく 好きです、この雰囲気…。
雷は子どものころから 眺めるのが好きでした。どこか神秘的ですよね!
近くに落ちたら恐怖ですが…
雷を見るのが好き どうも、ゆーです。
最近、子どもたちや両親と接していて気がついたことがあるのでお話します。
これは、ほんとうにどの方にも読んでほしい内容です。
お願いですから、読んでください。
ゲーム事情のところでも少しお話しましたが、ゲームの使い方について懲罰的に使うのはよくないといいました。(我が家のゲーム事情はこちら)
これに加えて、
「ゲーム」をご褒美、目的にしてはいけない。
これも提唱したいと思います。
あるお子さんがいました。小学生ですが、学校に行ったり行かなかったり、やや不登校気味。
そこでお母さんが提案しました。
母「学校に行ったら ゲームしていいよ!」
お子さんはどうなったと思いますか?
子「ゲームしなくていいから 学校には行かなくてもいい?」
なるほど、そうきたかっ!って感じです。
学校に行くことと、引き換えにゲームという報酬をもらうわけですが。それを逆手にとって、報酬はいらないかわりに、学校には行かない。
学校に行くことは、義務教育であったり、あるいは社会へ出て生活していくために必要な知識を身に着ける、社会性を身に着けるなどいろいろな目的があります。
でも、ゲームをする許可をもらうためではありませんよね。
ゲームをはじめとしたご褒美が目的で、学校に行くわけではありませんから。
逆を言えば、「ご褒美なんていらない、だから学校に行かなくてよいよね?」という理屈が出てきてしまうわけですね。
ご褒美なし = 学校に行かない これも成り立つんではないかと。
要するに、そういうことです。なんとなく、子どもの理屈がわかる気がします。
これでは、子どもは学校へ行く意味や価値を理解できなくなってしまいます。
これを踏まえて、ご褒美のあり方について考えてみたいと思います。
私も含め、親の多くは「ご褒美」をよく使います。でも、この使い方を誤ると意欲を失ってしまう可能性さえあります。
ご褒美 = 行動
この式が成り立っているわけですから、ご褒美が無かったら行動をとる意味や目的を見失って、意欲があがらないことは容易に想像できます。
もちろん、なにかの賞を目指して頑張る、目標にするという自主的な意欲のきっかけにすることはよいと思います。(エンハンシング効果というそうです)
ご褒美があるから行動するのではなく、行動した結果を認めることが重要です。その結果に応じて、時々ご褒美があるほうが 自分が評価されたと思い次につながるはずです。
ちなみに、自主的に行っている行動に、報酬を与えると意欲が低下するという研究もあり、
アンダーマイニング効果 と名付けられています。
(自主的に勉強している子どもに外から報酬をあげるのは内発的動機づけが低下させることになり、報酬をもらえるという期待がないと、学習しなくなる可能性がある。)
いまできていること、子どもが自分から起こした行動を素直に認めてあげましょう。
ご褒美ありきではなく、 あくまでも 本人の自主的な意欲や行動を認められるようにしましょう。
コメント
moca様
いつもお読みいただきましてありがとうございます。
ほんとうに 皆様に知ってもらいたい内容だったので 伝わってよかったです。
ご褒美は必要な時もありますが、一番ほしいのは「もの」ではなく 両親から認められること、愛情ですから。
とても 良いことをされていますね! 自主的って難しいんですけど、とても大事です。また、配信で話しましょう。